後藤倫のホスピタリティ すべての仕事はホスピタリティと共にある。すべての企業は「思い」でできている。
今なぜ、ホスピタリティが求められるのか。

企業や店舗、人の評価はそれらが提供する商品やサービスだけでなく、それに関わるすべての人の言動や行動で決定されるので、ホスピタリティマインドが大事なことを認識して仕事をすることのできる人の存在がより重要になっています。では、今、なぜホスピタリティなのでしょうか・・・。

企業が存続していくためには、(1)顧客満足を継続的にはかり(2)お客様の変化や状況を感じ取り(3)実践して成果を上げ(4)顧客満足や評価を高めていく・・・ことが重要な鍵となりますが、よりホスピタリティが重要視されているのは便利で素早くより多様化するニーズにより素早く、広く、深く応えていくことでしか見いだせない不確定なものが増えてきたから、そして反比例するように「価値想像」が大切な世の中になってきたからです。

日本人が古来から受け継いできた誇るべき伝統、文化とともに、「おもてなし」ホスピタリティが今こそ、日本だけでなく、世界にも必要だと考えています。

しかし、ホスピタリティとは、本来過剰なサービスや大げさな同調ではなく、「相手を慮る(おもんばかる)」「思いめぐらす」という日本人に昔から根付いてきた文化と心持ちのこと、思いやりと想像力=“価値想像”に他ならないのです。

ホスピタリティの根底にある「価値想像」。

「価値想像」とは何なのか。その商品、サービスを提供するまでに多くの人が関わっていることが想像でき感謝をすることができる人。=価値を“想像”できる人。
そして、この価値想像こそ、ホスピタリティマインドを持ち合わせているチャンスに満ち溢れた人に他ならないのです。

Atacched File 私事ですが、今は亡き最愛の母は、夜に働き私と兄弟たちを育ててくれました。
まだ、小さかった私に母が「生きる」を与えてくれるために一生懸命に働いてくれていたことは今でもよく覚えています。絵本を読んでもらいたくて母の帰り待っていても、夜が遅く、疲れた表情で鏡台に掛けている姿を見ると、子供ながらに、「わがままを言ってはいけない」という気がして、泣きながら眠ることもありました。
そんな思いを知ってか知らずか、休みの日には早起きして私が大好きなプールへたびたび連れて行ってくれましたが、その時、私は母が作るおにぎりやおかずをなかなか食べることができませんでした。
それは、子供ながらに“母は自分のために一生懸命生きている”というのはわかりましたし、どんな思いで今日の料理を用意してくれたんだろうか、眠くてきつかったんだろうか、と思うとありがたくて、幸せで。
食べて無くなってしまうことがとてつもなく勿体ない、と感じていました。
子供ですから空腹には勝てずもちろん食べるのですが、包んであったラップなどはこっそりポケットに忍ばせたりしたものです。そんな幸せでありがたい“おにぎり”は今も私にとって世界一おいしいかけがえのない料理であり、こういう思いに今でもとても強く共感してしまいます。

上等とか、上質とか、高価である、とかではなく「母の手づくりおにぎり」という点では特別なものではなく、誰しもに存在する“心深く思う”相手を思いやる”感情だと思います。
こういう記憶や経験は、誰しもが日常の中で出遭うこと。
子供ながらに大人を気遣ったり、子供同士のコミュニティの中ででもそれらは発揮されてきました。
大人になったとき、それらを色濃く記憶しているか、記憶の引き出しの奥深くに眠っているかは別としてそのドアをたたくような経験が、学生時代に初めて行うアルバイト、たとえば接客業だったり、という人も多いのではないでしょうか。

引き継がれるホスピタリティ。

社会人になり、本格的に仕事をする時間が長くなるとその気持ちが薄れたり、削がれたりすることもあるかもしれませんが、商品やサービス、目で見えて測れるものばかりでなく、それまでの過程に携わる人や時間や労力などに思いを馳せ、すべてのものに価値を見出すことができるのは人生を豊かにしてくれると信じています。

すぐに仕事へ活かすということは容易ではないかもしれませんが、相手を思いやったり、深く感銘したり、好奇心を持ち合わせたり、と少し角度を変えることで日常も仕事もぐっと深みが増すのです。

Atacched File最後に、こんな思いを抱くことができる自分を生んでくれた母に今も心から感謝していますし、生まれ変わってもまた彼女の子供で生まれてきたいと願っています。
そして、彼女の教えや生き方、かかわりから“価値想像”ができ、出会った人への「感謝ができる人」になりたい、出会った人から「また出会いたいと思わせる」人生を歩みたい、と思っています。

ホスピタリティとは人がいる限り、大切なものであり、消えることはなく、終わりもなく、生き続けていくものである。
Atacched File

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